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ホンダアコード(初代)

1976年、5月に新登場したホンダ初の1.6リッタークラスの小型車、アコードはクラス初の試みとなる3ドアハッチバックボディとエンジン横置きの前輪駆動、4輪ストラットサスペンションなど内容的には同社のシビックの拡大改良版でありましたにゃ!

それでも静粛性と乗り心地の良さ、クラスレスな雰囲気などが好評を得てヒットモデルとなりましたにゃ'ω'

当初は1600cc3ドアハッチバックのみでスタートしたラインナップも197710月にオーソドックスな3ボックスのノッチバック4ドアセダンのサルーンが追加となりましたにゃ!

当時は他社とは一線を画した車作りの姿勢を持ち、小型車のあり方のオピニオンリーダー的存在だったホンダだけに、4ドアも大方が4ドア+ハッチバックの登場を予想、実際にオーソドックスなノッチバックセダンが登場した時には営業サイドの意見を取り上げた、現実路線のホンダの姿勢に驚かされたそうですにゃよ!

さらに1978年のマイナーチェンジとともにエンジンが1800ccに拡大されて53年規制に適合、1980年にフェイスリフトされたのち、19819月にはフルモデルチェンジを迎えて2代目にバトンタッチしましたにゃ(=^ω^=)

そんなアコード登場の1976年は日清のカップ焼きそば「UFO」が発売されましたにゃよーヽ(*´`)

ちなみにUFOの名前ははうまい、太い、おっきいの略らしいですにゃよ(*´`*)

ごろんたもヤキソバンに変身してお正月から世界の平和を守りますにゃよー!

同じ年、今ではローソンに吸収されてしまったコンビニチェーン、サンチェーンもこの年に第一号店がオープン、ごろんたも昔はサンチェーンにビックリマンチョコを買いに行きましたにゃよー!

そして前年にバンド「愛奴」を脱退した浜田省吾さんがソロデビューしたのもこの年のことでしたにゃ!

バンドもやめてお金も仕事もない、そんな中作ったデモテープの曲はヘビーなものばっかりで持ち込んだレコード会社には「今時こんなの作ってるやつはいないよ」って断られ、吉田拓郎さんちに持って行ったら「どうして二人の夏とか恋の西武新宿線みたいなポップなの作らないんだ、今どきこんなの聴くやついないぞ」って言われたり、そんな悪戦苦闘の中、22歳最後の夜に出来上がったのがデビュー曲の「路地裏の少年」でしたにゃよー( •̀•́ )

もともとは青い目の少女っていう自分の初恋を歌にした曲だったらしいんにゃけど書いてくうちにどんどん変わって最終的にこの曲になったらしいですにゃよー( ॑ ॑c)

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コメント: 1
  • #1

    木村誠 (月曜日, 05 12月 2022 21:28)

    はじめまして。木村誠と申します。初代ホンダアコードハッチバック(1800)に乗っていました。浜田省吾さんの「路地裏の少年」、この頃の曲なんですね。カラオケ�で歌うクセに知りませんでした。ありがとうございます。よろしくお願いしますm(_ _)m